少年画報からサライへ -- 空想的懐古主義 --



行きつけの喫茶店で『サライ』という雑誌をもらうことになった。
『サライ』は、小学館の隔週総合雑誌で、40〜50代の小金を貯めている中壮年男がターゲットらしく、なかなかプチブル的な企画が多い。広告も、車、家、高級電化製品など、値の張るものが多く、私のような貧乏人は「ヲイヲイ」と思うことも少なくない。この間なんか、トイレのリフォームの特集をやっていた。家作りの雑誌じゃないっちゅーの。
なんでも、この『サライ』、今年は、京都特集が3回、銀座特集と奈良特集がそれぞれ2回ずつあったらしく、その喫茶店のマスター氏も「そろそろやめよかな……」と言っているほどだ。確かに京都特集は、どれも同じようなものばかりで安直だった。ただ今月の奈良特集はそれほど悪くなく、なかなか良いのではないですかと言ったら、「それじゃ次の号が出たら今号をあげます」ということになって、いただくことになった。買うつもりだったんだが、せっかくのご厚意を無にするわけにはいかぬ。小学館は「630円の損害」である。
子供の頃、行きつけの床屋さんで、店に置いていた漫画雑誌をときどきまとめてもらうことがあった。ウチは私を含め子供が3人いて同じ床屋さんに通っていたので、サービスも兼ねて古雑誌をくれたのだろう。もちろん最新刊はくれない。それでも子供心にうれしくて、新聞紙で包まれた漫画を持ち帰るとき、うきうきしたことを憶えている。このときの漫画雑誌が『少年画報』である。
『少年画報』というのは、昭和23年から昭和46年に発行された雑誌で、当初は読み物主体だったのだが、時代の趨勢を受け、だんだんと漫画主体に変わってきた。私の場合、床屋さんとの関連で、昭和40年頃から廃刊時まで愛読していた(はず)。「はず」というのは、何年くらいから読み始めたのか、憶えていないためである。
先日、図書館に行っているときににわか雨が降り出し、それで雨宿りもかねて本を物色していると、『少年画報大全』という本が目にとまった。で、その「何年から読み始めたか」を推理するため、いろいろと調べたわけである。この本は少年画報社が発行しており、「まだあるのか、少年画報社!」と感心もしたのだが、『少年画報』の内容についてかなり詳細に記録している。巻末には、年表形式で他の漫画誌との比較が載っており、資料的な価値もある。
『少年画報』で昭和40年前後に連載していたのは、主なところでは、「怪物くん」(藤子不二雄作)と「マグマ大使」(手塚治虫作)だ。テレビ放送はどちらも同時代で見た記憶はあるが、テレビより先に漫画を読んでいたかどうかは記憶にない。41年から42年になると、表紙にテレビ版の「マグマ大使」が再三登場しているので、テレビ放送が始まったのはこの頃だと思われる。42年になると「怪獣王子」なんちゅうもんが表紙に登場する(「怪獣王子」では、首長竜に乗った子供がブーメランで敵を倒すという、「怪傑ライオン丸」もさながらのワンダーランドが展開する)。「怪獣王子」は、もともと『少年画報』に連載されており、テレビ放送が始まるときに、私の兄(小学校低学年)の周辺で「テレビになった」ことが話題になったので、おそらくこの頃、私の兄およびその友達は『少年画報』を読んでいたようだ。とすると、兄と同じ床屋さんに通っていた私もすでに『少年画報』を読んでいた(というより見ていた)可能性が高い(ちなみに「怪獣王子」は42年初頭に『少年画報』で連載が始まり、10月にテレビ放送が始まっている)。
はっきりと『少年画報』で漫画を読んでいた(というか見ていた)記憶があるのは、「コンピューたん」(ジョージ秋山作)、「キックの鬼」(梶原一騎、中城けんたろう作)、「日野日出志のショッキングワールド」(日野日出志作)などで、このあたりは44年から45年頃だ。それに45年の第7号の表紙写真(アントニオ猪木がボボ・ブラジルにコブラツイストをかけている写真)ははっきりと憶えている(この号は床屋さんからもらって帰った)ので、44年以降は間違いないところだ。おそらく、42、43年頃から廃刊時までというところか。45年連載の「ヒトモドキ・ヒョウタンゴミムシ」(ジョージ秋山作)は今でも冒頭のシーンをはっきり憶えているくらい何度も読んだ記憶がある。
しかしまあ、この本のように年代順に雑誌の変遷を見せられると、なかなか昭和という時代が見えてきておもしろい。
特に昭和39年の表紙は、全12号のうち8号分は戦争ものである。のちにテレビ版の「マグマ大使」に出演しフォーリーブスのメンバーとしてアイドルになる江木俊夫が、戦艦をうしろにして、「大日本帝国海軍」の帽子をかぶり手旗信号を振っている写真が新年号の表紙で、2月号はパイロット姿の江木俊夫、背後に零戦というものである。6月号は、今まさに零戦に乗り込まんとする江木俊夫飛行士、5月号は、大日本帝国軍の戦車に乗り込み、日本刀を振り上げる江木俊夫兵士である(おーこわ)。確かにこの時代は、戦争物の漫画が多かったような記憶がある。「0戦はやと」(少年キング連載)もこの頃だもんな(ちなみに作者の辻なおきは当初、『少年画報』で「0戦太郎」というものを連載してその後「0戦はやと」の連載を始めたらしい。「0戦太郎」についてはまったく記憶にない)。今こういうことを漫画雑誌でやったら大問題になりそうだ。大体、今だとしゃれにならないし。
ともかく、こんなあんばいで、昔を懐かしんでいたわけである。
それでふと思ったのだが、今から30年くらいして『サライ大全』みたいなものが出たときに、それを見た元サライ読者はどう感じるだろうか、ということ。安直で軽佻浮薄な時代を感じとるか。それとも過剰な商業主義に吐き気がするのか。確かにノーテンキな今という時代を反映している雑誌ではある。
あ、そうだ、30年後は読者のほとんどは墓場に片足つっこんでるよな、私も含めて。

投稿日: 水曜日 - 10 月 12, 2005 06:45 午後          


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