思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける(大宅世継)

批評、随筆、芸術のアーカイブ・サイト……竹林軒

伝説の田園

ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管弦楽団
(1983年11月7日ライブ)

 ベートーヴェンの交響曲は好きで、全集も5種類くらい持っている。だが、6番つまり「田園」については好きじゃないのでめったに聴かない。
 だが、この「田園」は少し驚きだった。
 具体的にどうであるかはなかなか表現が難しいのであるが(クラシック音楽の評論など読んでも、だいたい曖昧なもので比喩があふれている)、全体に躍動感が感じられるのだ。「田園」みたいなタイプの音楽で躍動感が感じられるというのも意外である。音の振幅が大きい(第4楽章の「嵐」は大音声がいきなり出てきててビックリする)とか演奏の速度が興に乗って変わるとか、分析すればいろいろあるのだろうが、「田園」をこれだけ何度も続けて聴いたなどということはこれまでほとんどないと言って良いだろう。
 指揮者のカルロス・クライバーは、変わり者というか頑固者というか、あるいは伝説の指揮者などという言い方もされているが、キャンセルが多く、演奏会もすぐすっぽかしてしまうという逸話がある人物である。しかも演奏会自体もあまりやらない。十数年前来日したときも、ファンの間では「またすっぽかすんじゃないだろうね」などと噂されていたくらいである。しかしそんなファンの期待(?)に反してクライバーは来日し、きちんと舞台に立って指揮棒を握った(もちろん最後まで演奏した)。そのときの演奏会はNHKで放送されたが、それがまた感動的な演奏。演奏後に客席がテレビに映ったが、感動で涙ぐんでいる客もいた(ように見えた)。
 クライバーは録音もあまり多くない。クライバーのCDが出ればかなり話題になるので注目しているし、何かのCDは少しずつでも出てくるんじゃないかと思っていたが「田園」とはね。
 だがその内容はといえば、すでに言ったように「切れば血が出るような演奏」(ある評論家が前に使っていた表現です。本当のところ、どういう意図で使っていたのかはよくわかりません)だったというわけだ。
 このCDのトラック6は「鳴り止まぬ拍手(3'50")」である。第5楽章が終わると、2・3秒静寂が続いてから、数人の拍手がパチパチと鳴り、その5・6秒後にこれが割れんばかりの拍手に変わる。このあたりの事情については、日本版のライナーノートに書かれている。このライナーノートを書いた武田浩之という人は、83年に行われたこの「田園」のライブに客としていあわせていたらしい。
 『演奏が終わっても誰も拍手しない。僕は「ああ、もう終わってしまった」という感じで「拍手できない」。しばらくして平上間三列目くらいの年配のご婦人方が拍手を始めるが、後が続かずまた会場は沈黙してしまう。ようやくクライバーがオケを立たせようとして初めて拍手が始まり、すぐに熱狂的なブラボーに変わっていった。クライバーも僕が知りうる限り一番うれしそうな顔をしていた。』
 なるほど。その様子が、手に取るようによくわかる。
 その伝説のクライバーも2004年7月に死んで、(私を含め)ファンをがっかりさせた。第九とかブラームスの1番とかも出ると良いんだが(録音があるかどうかは知らないけど)。合掌。

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シンシア版「妾の半生涯」

Cynthia Best~Eternity/南沙織



曲目

  1. 哀愁のページ
  2. 17才
  3. ともだち
  4. 純潔
  5. あの場所から
  6. 色づく街
  7. ひとかけらの純情
  8. 人恋しくて
  9. 哀しい妖精
  10. 春の予感~I've been mellow
  11. 青空
  12. ファンレター~So Good So Nice
  13. 約束
  14. よろしく哀愁
  15. ふたり
  16. 愛は一度だけですか


 南沙織。アイドル歌手の元祖、沖縄出身、黒髪、色黒、歌い方にクセがある、篠山紀信と結婚した……ボクの南沙織に対するイメージといったらこんなところでしょうかね。
 南沙織には、今まで特に興味がなかったのですが、ちょっとしたきっかけで最近よく南沙織のCDを聴くようになりました。
 やたら頭の中をぐるぐる回る曲がありまして、南沙織が歌っていることはわかっていたのですが、タイトルを知らなかったんです。それが、ボブ・ディランの「風に吹かれて」によく似たメロディで始まって、しかも歌詞が「いくつの手紙書けばあなたに逢えるのかしら」というんですね。メロディは全体を通してよく似ているんで、もしかしたら同じ曲をアレンジして日本語で歌っているのかと思っていました。それで、あれこれ南沙織のCDを聴いてこの曲を探していたんですが、それがこのCDに入っている「哀しい妖精」だったというわけです。
 さっそく作曲者を確認してみると、残念ながらボブ・ディランではなく、ジャニス・イアンとなっていました。ジャニス・イアン! あの「Love is Blind」の。というわけで二度ビックリ。作詞者は松本隆。どうもジャニス・イアンの曲が「風に吹かれて」に少し似ていたために、それ風の詞を松本隆がつけたということらしいのですね(詳細については知らないけど)。なかなかやるな、松本隆。
 それはさておき、このCDでは、南沙織のデビュー曲から引退までのシングル曲の他、引退以降に単発的に出したシングル曲が収録されています。10の「春の予感」以降の曲は、コマーシャルやテレビの主題歌として使われていた曲で、耳にしたことがあるものも多いです。9以前の曲もヒット曲ばかりです(ミリオン・セラーのものもある)。意外だったのは「あの場所から」で、てっきり朝倉理恵の歌かと思っていましたが、もともとは南沙織のシングル・レコードのB面に入っていたということです (注)。これもしっとりした味があって、朝倉理恵のカラッとした歌い方とは違います(南沙織の方が曲によく合っていると思う)。2の「17才」にしても、南沙織の「17才」は躍動感があります。ティーン・エージャーの喜びや高揚感が表現されていて、なかなかの傑作です(森高千里の「17才」は悪い冗談にしか思えなかったけど)。それから、12の「ファンレター」は、「17才」の主役である若い女性を遠くから見ているという設定になっていて、これもなかなかウィットが効いていて面白いです(阿久悠の詞ですので、ちょっといただけない部分もあります)。ボクがこのCDで一番気に入っているのが11の「青空」で、ギターやピアノのアレンジがとっても爽快です。まさに青空のような気持ちいい歌です。
 このCDは、特に全体としての構成がよくできており、序盤の曲では「喜びの対象としての恋愛」、中盤の曲では「恋愛で揺れ動く女性の心」、終盤では「パートナーとの関係性や人生」が表現されています。いわば、1女性の半生が歌い綴られているということになるでしょうか。ジャケットに掲載されている南沙織の写真も、娘時代から中年に至るまで、さまざまな年齢層のものが広範囲に紹介されており、1人の女性の歴史をかいまみることができます(写真は篠山紀信のものが多いみたい)。

注:その後、この曲は、シングル・レコードのB面ではなく『早春のハーモニー』というLPに収録されていたことが判明しました。このLPでは、他の歌手の歌をいくつかカバーしており、「あの場所から」もその1曲という扱いです。ちなみにこの曲は、かつて「Kとブルンネン」というデュオがシングルとして発表した曲で、それをカバーするという趣旨で取り上げたもののようです。このLPが発売されたのが72年末で朝倉理恵のシングル発売が73年前半であることから、「南沙織の方が朝倉理恵よりは早かったが、もともとは「Kとブルンネン」の歌だった」というのが真相のようです。

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あるアイドル歌手の全記録

ベスト/三木聖子


曲目

  1. ドリーミィ・スカイライン
  2. 明日になれば
  3. 愛の旅
  4. まちぶせ
  5. そよ風のためいき
  6. さよならのマリーナ
  7. 哀しみ専科
  8. 三枚の写真
  9. 恋のスタジアム
  10. つぶやき
  11. ホロスコープ
  12. 少しだけ片想い
  13. もうひとつの愛

 ご存じの方は少ないと思うが、三木聖子は1976年にデビューしたアイドル歌手で、荒井由実(現・松任谷由実)が書き下ろした「まちぶせ」を歌ってデビューした。当時所属プロダクションイチオシのアイドルであったらしいが、会社ともめたかなんか(噂……詳細についてはよくわからない)で、結局シングル3枚、LP1枚を出しただけで引退する。
 「まちぶせ」はその後、石川ひとみがカバーしヒットするが、三木聖子版を知っている私は、石川ひとみのカバー曲を聴いたとき、「!!!!??」と感じたものだ(<よくわからんすか?)。ま、要するにちょっと違うという感じね。
 三木聖子の「まちぶせ」を聴くと、ティーンエージャーの息づかいが聞こえてくるというか、ものごっつい女の情念を感じるというか、ともかく強烈な印象を受ける。「まちぶせ」は、ある男を好きな若い女性(たぶん女学生)が、その男につきあっている女の子がいるにもかかわらず、その男を奪おうとする心情を表現した歌で、三木聖子の歌では「あなたをふりむかせる」というサビの部分が何とも息苦しそうで(息が続かないだけかも知れないが)緊迫感があるのだ。ネットで調べると三木聖子には「歌唱力に難があった」らしいが、このCDを聴くと、歌がうまいかヘタかという次元を超えたすさまじい迫力を感じる(つまり、それが表現力ということになるんだろう)。「まちぶせ」の他にも、少女漫画ワールド(3の「愛の旅」の作詞が里中満智子)や乙女ワールド(7「哀しみ専科」、8「三枚の写真」の作詞が松本隆)をそつなくこなして、確かな表現力を実感させる。
 三木聖子が芸能活動をしていたのは1年ほどであるため、先ほども言ったようにシングル3枚とLP1枚のみしかリリースされておらず、歌は全部で13曲しか残っていない。引退してからは、行方がとんとわからず(一般企業で事務員をしていて社内旅行のバスで「まちぶせ」を歌ったなどという、眉唾ものの噂もある。結婚引退という話も)で、なにやら東洲斎写楽をも彷彿とさせる。
 そしてこのCDには、その13曲がすべて収録されているというわけだ。三木聖子のすべての歌を堪能できる。ある意味でコレクターズ・アイテムとも言える。
 シングル曲は、4の「まちぶせ」、9の「恋のスタジアム」、8の「三枚の写真」(この順番)で、どの曲も悪くないが、ただそれぞれの曲で主人公のキャラクターが大幅に違っているため、そのへんがあまりヒットしなかった理由の1つではないかと思う。ある程度同じ役割を続けて演じる方が、ファンもつきやすいってもんだ。「まちぶせ」に出てくる、意志の強そうな強烈な個性は、それ以降の歌には登場していない。こういった類の歌を続けて歌っていれば、日本の音楽史でもっと面白い地位を築いていたかも知れない。はなはだ残念。
 もう一つ、石川ひとみがらみだが、(三木聖子と同じプロダクションの)石川ひとみは「まちぶせ」以外にも、8の「三枚の写真」、10の「つぶやき」をカバーしているらしい。1人の歌手から3曲カバーするというのも尋常でないものを感じるが、三木聖子と所属プロダクションの確執みたいなものもあれやこれや推測される。
 ともかくいろいろな意味で興味深いCDである。三木聖子がテレビ出演している映像が再放送されないか期待する今日この頃だ。

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武満徹の愛した小品

翼 武満徹ポップ・ソングス/石川セリ


曲目

  1. 小さな空
  2. 島へ
  3. 明日ハ晴レカナ曇リカナ
  4. 三月のうた
  5. めぐり逢い
  6. 死んだ男の残したものは
  7. うたうだけ
  8. ○と△の歌
  9. 恋のかくれんぼ
  10. ワルツ「他人の顔」より
  11. 見えないこども

「≪SONGS≫(引用者注:武満徹のポピュラーソング集のこと)といって想いだすのは、友人の作曲家・パフォーマーの桜井真樹子の話だ。
桜井は児童自立支援施設で音楽を教えているが、ふだん生徒たちは何かといちゃもんをつけて言うことをきかない。どうして歌なんかうたうんだ、勝手に好きなものを聞いてるだけでどうしていけないんだ。浜崎あゆみのような「現代音楽」(!)が好きなのに、何で古いものなんかやるんだ。かくして授業はスムーズに進まない。
あるとき、≪SONGS≫から<小さな空>を教材としてみんなにうたわせようと思い、まず、ひとりでうたってみせた。うたい終わってもしばらくしんとしている。どうしたことかと眺めてみると、一斉に目に涙をうかべているのだ。」

(小沼純一著『武満徹 その音楽地図』より)

 武満徹の≪SONGS≫は、このところ何枚かCD化されていて、いろいろな歌手のものやアレンジが楽しめる。が、元祖はこのCDである。しかも武満自身が石川セリを指名してできたもので、死の直前まで枕元に置かれていたらしい。
 服部隆之、コシミハル、羽田健太郎といった面々が編曲しており、さまざまなミュージシャンが参加して、どの曲も面白い仕上がりになっているが、やはりなんといっても石川セリの歌が素晴らしい。私は正直言って、石川セリのことはこのCDを聞くまでよく知らなかったのだが(「8月の濡れた砂」は知っていた)、まさに≪SONGS≫のための歌手と言っていいほどマッチしている。作詞者も多彩で、詩人(谷川俊太郎)、シナリオライター(井澤満)、歌手(荒木一郎!)、学者(瀬木慎一)など、広い武満の交友関係を伺わせる(曲はすべて武満)。「作詞谷川俊太郎、作曲武満徹」なんて、当代最高の組み合わせと言っても過言でない。
 かつてテレビで流れる歌謡がパクリだらけでうんざりしていたときに、『筑紫哲也のNews 23』でテーマ曲として使われていた「翼」をたまたま聞き、「パクリでないオリジナリティのある美しい歌謡曲」も巷に存在するのだと感心したのがそもそもの始まりだ。それが武満徹の曲だと聞いてさもありなんとは思ったが、(あの現代音楽の)武満徹がこういう歌謡曲をつくっているのかと意外な感じも受けた。それが、武満徹の≪SONGS≫との最初の出会いである。このようなCDがあることを知ってすぐ入手したが、どの曲も「オリジナリティのある美しい曲」で、あらためて武満徹の底力を思い知り、それ以来、武満モノを(現代曲も含めて)よく聴くようになった。このCDは、私にとってそういう、ちょっと思い入れのあるCDでもある。
 その後も≪SONGS≫のCD化したものは、小室等の『武満徹ソングブック』、波多野睦美の『アルフォンシーナと海』(2曲のみ)、保田由子の『見えないこども』など、何枚か入手して聴いた。どれもそれぞれ面白いが、トータルではやはり、石川セリ版が一番だというのが、私の印象である。石川セリはその後、『MI・YO・TA』というCDで武満の同名の曲を録音しており、こちらも(武満が死んだ後だけに余計に)味わい深い、というか悲しい曲だ。残念ながら、『翼 武満徹ポップ・ソングス』も『MI・YO・TA』も現在品切れ状態で入手困難である。

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