思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける(大宅世継)

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「竹林軒出張所」批評選集:本

「竹林軒出張所」選集

石川英輔の本、5冊

1. 『大江戸えねるぎー事情』
2. 『大江戸テクノロジー事情』
3. 『大江戸リサイクル事情』
4. 『大江戸生活事情』
5. 『大江戸生活体験事情』(田中優子との共著)

 石川英輔の『大江戸事情』シリーズはどれも外れがない。
 初めて石川英輔の『大江戸えねるぎー事情』を読んだとき、あまりのことに目からウロコがバリバリと落ちた。それまで僕の中にもひそかに息付いていた「江戸=暗黒時代」という歴史観がガラガラと音を立てて崩れていくような感じがした。そして、江戸という時代をいかに知らなかったか思い知らされた(ま、それまであまり関心が無かったということもあるんだが)。おそらく当時、一部の専門家とマニアを除いて、「江戸=暗黒時代」という歴史観が普通だったのではないかと思う。今でこそ、江戸の循環型エコロジー社会や、スーパー・リサイクル・システムが見直されているが、その先鞭をつけたのが石川英輔の著書だったのではないかと思う。少なくとも僕は、彼の著書で江戸に対するまっとうな見方を得ることができたと思っている。
 著者の基本的な考え方は、江戸時代は独自の文化、テクノロジーが花開き、長い間平和が保たれ、学術文化も大きな進歩が見られた特異な時代という見方である。もちろん江戸がユートピアだというのではないが、しかし少なくとも、一般的に考えられているような「武士階級に虐げられ重税に苦しめられる庶民」という見方は間違いであると主張する。それを立証するため、文献(特に江戸時代は多数の文献が残されている)に当たり、詳細に検討していくのである。
 基本的にはエッセイのような論調であるが、学術的にも立派に通用するような論の展開で、まったく申し分ない。しかも著者は小説家でもあるため、文章は平易で非常に読みやすい。
 『大江戸えねるぎー事情』は、『大江戸事情』シリーズの第1作目で、江戸時代の有様を衣・食・住・文化全般について紹介しながら、エネルギー消費の観点から論述する。内容は(当時としてみれば)きわめて画期的で、江戸時代にタイムスリップしたような感覚さえ覚える。元々は、原子力文化財団のPR誌に連載したものらしいが、(いびつな形で育った)原子力を含む多くの現代テクノロジー、現代文明に対する鋭い批判になっているのは面白い。
 『大江戸テクノロジー事情』は、『大江戸えねるぎー事情』の続編と言っても良い本で、江戸時代のさまざまなテクノロジーについて紹介していく。和算、からくり、印刷技術、学問、植物など、こちらも内容は非常に多岐に渡る。根本的に、江戸のテクノロジーに対する考え方は、西洋のアプローチと異なり、応用第一でないことが良く分かる。テクノロジーのためのテクノロジーみたいな要素があり(特に学問)、相当発展しているにもかかわらず、それを現実社会に応用しないという、いかにも泰平の時代の学術であるという印象を受ける。実にユニークである。
 『大江戸リサイクル事情』は、江戸のリサイクル・システムに焦点を当てた本。その年とその前年(せいぜい数年前)の太陽エネルギーだけですべてをまかなっていた江戸の都市機能を「リサイクル」という観点から紹介していく。この3冊で初期の『大江戸事情』三部作となる。どの本も論旨が明快で一貫しており、しかも江戸の持つ魅力がちりばめられた本である。江戸の街にタイムスリップしたような錯覚を受けるのも、石川英輔の本の魅力と言って良い。
 『大江戸生活事情』では、特に江戸の社会面に焦点を当てる。幕府の支配体制、町人の自治組織、江戸人の生活、職業、学術など、こちらも実に多岐に渡る。「意外に少なかった一騎と飢饉」という節は、これまでの江戸暗黒史観に一石を投じるような論である。
 最後の『大江戸生活体験事情』は、江戸研究家、田中優子との共著であるが、なんと江戸の生活のあれこれを実際に(現代の生活の中で)再現してみたという本。江戸時代の不定時法(日の出、日の入りを基準に時刻を設定する方法)や江戸時代の太陽太陰暦に従って生活してみたり、火打ち石や自作行灯の生活、江戸時代の生活雑貨の利用など、実際に体験してそこから何がわかるか調べてみようという試みである。もちろん、体験するというだけの話ではなく、そこにどういう合理性や不合理性があるかなど、自分の身体で体感していこうという面白い本である。読んでいるこちら側も、江戸の生活をミクロ的に追体験できるので、江戸の臨場感もひとしおといったところで、これも快著である。
 他にも、『雑学「大江戸庶民事情」』『大江戸ボランティア事情』(田中優子との共著)もお奨めで、特に『雑学「大江戸庶民事情」』では江戸の旅について触れられているが、これがもうホントに目からウロコで、旅の事情から江戸がいかに平和だったかがよくわかる。また、江戸の旅を野田泉光院という人の日記(『九峰修行日記』)を現代語で再現した『大江戸泉光院旅日記』という本もある。こちらは少し退屈な本ではあるが、江戸の旅の追体験という意味では最高レベルの本ではないかと思う。その他、石川英輔が江戸のことを調べるきっかけになったというSF小説も数点あるが(『大江戸神仙伝』など)、こちらは個人的にはあまり面白いと思わなかった。石川英輔は、なんと言っても「大江戸事情」シリーズである。

参考:
竹林軒出張所『大江戸庶民いろいろ事情(本)』
竹林軒『書籍レビュー:江戸の新発想 「大江戸開府四百年事情」』
竹林軒出張所『実見 江戸の暮らし(本)』
竹林軒出張所『ニッポンのサイズ 身体ではかる尺貫法(本)』
竹林軒出張所『江戸時代はエコ時代(本)』
竹林軒出張所『ニッポンの旅 江戸達人と歩く東海道(本)』

2012年2月、記
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